狭山池公園

狭山池公園案内板

西多摩郡瑞穂町にある狭山池公園は、その名の通り池を中心とした親水公園です。カワセミが生息している事からあの美しく愛くるしい姿をレンズに収めようと、たくさんの愛好家が集まり、一瞬のシャッターチャンスを狙う姿がよく見られるのです。また立川市砂川地区の歴史と深いつながりを持つ残堀川の源流でもあります。

概要

  • 住所:瑞穂町大字箱根ケ崎712番地
  • 面積:11,592.96㎡
  • 入園料:無料
  • 駐車場:6台(内軽専用1台、身障者用1台)
  • トイレ:あり

園内

園内には三つの池がありその合計は約1.5haにも及びます。池それぞれはテーマによって名称が付けられ、池と池を隔てる周遊路の途中には東屋やベンチなどがあります。カワセミの繁殖時期などにはその姿をカメラに収めるため割とたくさんの人が集まってきますが、それ以外の時期だと人もまばらで静かなものです。

あめんぼうの池

あめんぼうの池写真

噴水、小島を設けた自然観察池です。案内板には「カワセミやコサギなど数多くの野鳥が観察」できるとありますが、カワセミはこの池だけでなく筥の池やその先の残堀川、丸の池など飛び回っています。また小島では羽を休める小鳥達の姿が見られます。西側の植込みは「ミニサンクチュアリ(生きものたちの世界)」となっています。

ふなっこの池

ふなっこの池写真

園内で唯一釣りをしてもOKです。フナやクチボソ(モツゴ)、アメリカザリガニなどが釣れるそうです。観賞用の鯉は釣ってはいけませんので、もし釣れてもリリースしてくださいね。だいたい一人や二人くらいは釣り人がいます。駐車場から一番近いです。

筥(はこ)の池

紅葉の筥の池画像

洲浜、藤棚、歌碑などを設けた庭園風観賞池。園内東端にあり残堀川へはこの池から水が流れ込んでいます。 池の中心に突き出すように厳島神社があります。

管理棟

園内南側ちびっこ広場や芝生広場に隣接しています。

ちびっこ広場

ちびっこ広場写真

遊具のある広場です。画像左側の建物が管理棟です。

芝生広場

管理棟の東側にある広場。あずまやから南に少し歩くと見えてきます。

厳島神社

厳島神社写真

筥の池中央に迫り出した島のようなところに厳島神社があります。水に関わる場所ではこうして厳島神社を見る機会が結構ありますね。

蛇喰い次右衛門像

園内南側芝生広場の横に立っています。案内板によると

「昔、狭山池は「筥(はこ)の池」と呼ばれ、18町歩(17.8ヘクタール)もある大きな池でした。とても暑いある日、百姓の次右衛門が筥の池で水浴びをしました。すると小さな蛇が絡みついてきました。必死で放そうとしますが、さらに体を締めつけてきます。力持ちの次右衛門はその蛇をつかみ噛みつきました。途端に空は大荒れとなり、小さな蛇はたちまち大蛇となり、傷口からは血が七日七夜流れ続けました。退治された蛇ととも池の水は枯れ、小さな池となりました。その時の水の流れが、さながら大蛇のようだった様子から「蛇堀川」と呼ばれ、後に「残堀川」となりました。このおはなしは、狭山池(筥の池)から残堀川に堀をつなぎ、池の水を玉川上水の助水とした事を反映して生まれました。」

とあります。

これは「蛇喰い次右衛門の伝説」として約350年前の江戸時代の話として伝わっているそうです。かつては暴れ川だったとされる残堀川。「水量が少なく川底が見える」、あるいは「昔から大雨のたびに氾濫する暴れ川で、洪水のたびに大量の土砂を流域に堆積させて人々を困らせたことから」土地の人々は砂の川と呼び、これが砂川という地名の由来となりました。こうした蛇の伝説は、人々を困らせた当時の様子を今に伝えているのかもしれませんね。残堀川はこれまでに幾度も流路を変えたようですがそのあたりの事は「残堀川旧水路跡」でご確認ください。

アクセス

  • 八高線箱根ケ崎駅より徒歩15分
  • 自動車だと東京都道166号瑞穂あきる野八王子線(旧日光街道)の狭山神社の所で路地に入ります。駐車場の収容台数が少ないため、駐車できない可能性があります。

夜のライトアップ

狭山池では季節によって若干時間帯が異なるのですが、夜になるとふなっこの池(釣り池)の噴水がライトアップされます。静寂が包む園内に浮かぶ幻想的な風景。昼間とはまた違った表情を楽しめます。

  • 2月~5月・・・18時から20時まで
  • 6月~8月・・・19時から21時まで
  • 9月~11月・・・18時から20時まで
  • 12月~1月   17時から20時まで

周辺

調練橋

水路からあめんぼうの池に合流する場所にかかる橋。案内板には慶応元(1865)年から翌年にかけて、この辺りの芝原で農兵に鉄砲等の調練を行ったためにこう名付けられた。箱根ヶ崎村、石畑村、殿ヶ谷村は天領(幕府の領地)で西洋式戦術の研究家として有名な江川太郎左衛門が代官として支配してい関係で、この地が調練場として選ばれたのだろう。参加者は、近隣周辺村々の役人層の子弟が大部分で総勢79人、そのうち箱根ヶ崎村4人、石畑村4人、殿ヶ谷村2人であった。この訓練は、武士階級の崩壊や徴兵制につながる我が国の近代化への第一歩を示すものとして意義深いものと言えるとありました。

常夜燈

生島神社の鳥居とその横の常夜燈

厳島神社の鳥居の横に立っている石燈籠で慶応元(1865)年日光街道と残堀川が交わる地点にかけられた石橋のたもとに建てられたもの。調練橋の項で説明したように、当時芝原であった狭山池周辺では農兵の調練が行われ、また百姓一揆が押し寄せるなど不安の多い時代だったため、燈明をともし通行人の道しるべとするとともに、天下泰平・村内安全を祈ったものだそうです。

ところでここで言う日光街道は一般に知られる五街道とは少し違うものです。日光東照宮警護で八王子千人同心が日光へ赴くために作られたもので、最終的には五街道である日光街道に合流します。国道16号の原形ともなりました。

八王子千人同心というのは関東の天領を治める代官所があった八王子の治安維持や国境警備のために武田・北条の遺臣を中心として組織されたもので、いざ戦端が開かれると合戦にも参加しました。その後徳川幕府が安定すると家康を祀る日光東照宮を警備する日光勤番が主な仕事となります。千人同心は、江戸幕府が瓦解する明治元(1868)年までの216年間にわたって50人1組(幾たびか編成や人数を変えるのですが)、年2回交替しながら続けられました。

日光街道には18の宿場が設けられ、その中でも南北に続く日光街道そして東西に伸びる青梅街道が交差する箱根ヶ崎宿は交通の要衝として大変な賑わいだったそうです。

狭山神社と狭山池緑地

狭山池公園の東側にある緑地とその緑地内にある神社です。狭山池緑地はカタクリの群生地として知られ、見頃を迎えるとカメラを構えた多くの見物客で賑わいます。

狭山神社は源義家が奥州征伐の永承年間(1046-1053)に箱根権現の霊夢により当地に勧請、箱根権現あるいは三社大権現とも称し、箱根ヶ崎村の鎮守社だったといいます。箱根ヶ崎の地名はかつてのこの神社の名称に由来するとも言われます。

国道16号(旧日光街道)の左の小高い山上に鎮座する。一ノ鳥居をくぐり三ノ鳥居まで、約百段の石段を登る。一ノ鳥居は明神鳥居(石造)、ニノ鳥居は神明鳥居(石造)、三ノ鳥居は両部鳥居(木造)とそれぞれ異なる様式である。
むかしは箱根権現、三社大権現ともいわれた。狭山神社の創建年代はよくわかっていない。祭神は箱根大神、木花咲耶姫尊などとなっている。
箱根大権現は永承年間(1046-1053)、源義家が奥州征伐に際し、筥の池(狭山池)辺りに陣営した折、箱根権現の霊夢を感じたことから、当地に勧請し、凱旋の時に奉賛したと謂われる。
箱根ヶ崎村の鎮守として、明治6年村社に列せられる。神社の入り口の鳥居左手には1859年(安政6)に作られたという神社水鉢がある。狭山茶は地場産業であり、本殿の左手には勝海舟の題額で著名な狭山茶場の碑がある。
石段の途中の左側奥には、大正時代のまちおこしを感じる梅林の碑がある。神社の裏側は、時期には斜面一帯が紫色の花で埋まるカタクリの里になっている。

丸池

狭山池はかつて「筥(はこ)の池」と呼ばれた18町歩(17.8ヘクタール)もある大きな池でしたが、現在は4つの池に分かれました。その一つがこの丸池で、あめんぼうの池の北西にある調練橋から水路が伸び、その水路沿いの遊歩道を少し行くと終点に小さな池があるのがこの丸池です。

 

2018年06月08日